2011年7月2日土曜日

第1回ことばカフェ 続きの続き まだまだ続きます!

続きの続きをはじめます。今回は、話の展開です。何が語られたのか
皆様 どのように思われるでしょうか?


自己紹介

Aさん 言語聴覚士暦30年  ここには吃音について勉強に来た。
仕事の対象は、幼児(ことばの発達)と、成人(脳血管障害)。
吃音については、正直分からない。親がこどもの吃音に
ついて誤解しているところがある。親のせいではないことを
説明し、親子の関わりについて説明しているが、特に自分の
吃音に気付き始めた子どもたちに どう接してよいかわかりません。

Oさん  24歳の吃音で困っている人。もの心つく前に早坂Tのところで
治療を受けた。しかし、吃音が今に至るまである。吃音を意識
したのが中学2~3年。それまでは、そうした意識(自意識)が
なかった。中学の終わり頃、話すことが困難だということに
気付いてから話さなくなった。

人と接する時、99%聞き手に徹する。そういう役割をとってきた。
友人はいるが、聞き手に徹した。自分のことは話さずに終わった。

大学卒業後、就職活動時、面接で、人に自分のことを話せない
ことに愕然とした。何回面接しても慣れない。このことはどもり
ということだけの問題ではないのかも。このことに関して、 少し
でも手がかりがあれば、変ることがあれば、と思っている。

M氏  文筆活動をしている。詩を書いている。今まで感情に任せてしゃべって
傷つきあう経験をしてきた。今、ゆっくりと、考えをまとめながら
しゃべるように努めている。そういう風にしゃべろうとすると口ごもったり、
思ったことをしゃべれなくなってきている。こうしたことは、吃音と
関係があるのか。

幼児期に母親から どもりの真似をするとどもりになりますよ と
言われ続けてきた。もしかしたら そういう傾向が自分に
あったのかもしれない。

自分のことばは聞き苦しいところがあるかもしれないけれど
我慢してください。なんとなく聞いている人のストレスを感知
するところがあります。

Oさん  他人の緊張が分かると 自分がさらにどもりますね。

M氏   まわりがハラハラしているのを見ると 余計にでない。

Aさん  どうしたの?という表情がいや。
ところで、就職の時 どもり と言うと不利になりますか?

Oさん  面接官が実際どう思うかはわかりません。だから、どもりだと
言った方がいいのか 不安です。

友達にも自分がどもりだと言わない。言う依然に気づかれない
ようにするので、あまりばれていない。たぶん 人としゃべらない
のが、どもりのせいだとは 人は知らない(と思う)。

家族以外に言ったことがありません。

Aさん  では 言うのはハードルが高いね。

Oさん  僕はプライドが高いので、相手に知られたくない。

Mさん  カミングアウトする心境?

Oさん  そう。友達がいなくて本ばかり読んでいた。自己主張が出来ない。
社会に対して 疑わしい気持ちを持っている。もういい という
気持ち。

べらべら自分のことばかりしゃべる人ばかり 社会から求め
られている。そういう人たちは ものごとを考えているように
思えない。中学生的思考かな(自分が)。なんかもうあきらめて
しまった。それからずるずるときて、面接は1回も通ったこと
がない。マスコミ 出版社はむずかしい。

公務員試験を受けてみようと思い、予備校に通って勉強
しています。

フリートーク


Q:AさんからOさんへ
小学校の時、吃音があってもきづかなかったのか、それとも
なかったのか。
Oさん 小学校の間もどもっていた。知ってはいたが、恥ずかしいとも思わなかった。
からかう友達もいなかったので、気にせず話していた。小学校の頃は、
天心爛漫に話していた。小学校1~2年の頃、先生に「言い方がきつい」
と言われた。

Q:AさんからMさんへ
感情的になった時、どもりますか?

Mさん 感情的になった時はどもりません。感情を抑えると ことばが出てこない。
口ごもる。最初の音が止まります。

Q:AさんからMさんへ
それって今までになかたのか?

Mさん 意識していなかったのかもしれない。吃音への恐怖心が強かった。
(母親に言われて) 今は(何を?)押さえなくなったので 発語と
いうものを気にしなくなった。

Q:AさんからMさんへ
ことばが出てこなくても 平気ということ?

Mさん かざりの部分は 少々吃音が出てもほおっておく。

Oさん 書き言葉にこだわるので(小説家志望)話す時、「きっちり言わなくては」
という思いがストッパーになっている。まとまらないうちに言って
いいのかという不安。これは吃音に関係があるのだろうか。

Aさん そう思うおうになったのは いつから?


(少し飛んで)

Oさん  人に自分のことを言わない。まあ 言っては失礼かなと。

Mさん  それはストレスたまらない?

Oさん  たまります。

Oさん  家以外のところで いい人になろうとしている。人へのあいづちや
質問はとても疲れる。人に嫌われるのが怖い。親に(悪いと思い
つつも)あたってしまう。そういう自分がいや。どうしようもない感じ。

Mさん  相手のことを考えてあげる。これはひとつの才能でしょう!!
自分の場合は書くことで、ストレスが減った。日記も書いていた。
書くことで、自分をある程度 正常にしていた。

Oさん  僕も書くことはある。大学は文学部。高校のときから 将来は
小説家になりたいと思っていた。でも不精で ・・・。
ちゃんと書かなくちゃと思うのだけど。思いのままに書けばいい?

Mさん しゃべらなくなった最大の理由は、自分の中に「ためたい」--
ダム湖のように ためたい。頭の中で客観視というフィルター
を通す。検証しながら書く。そういう訓練をしながら、創作性を
高めます。たまらないと 書けないのです。

Q:OさんからAさんへ
30年間言語聴覚士をやって 吃音だけをやっていたの?

Aさん  聴覚はしていないけれど、その他はいろいろ。
言語聴覚士ーー昔はSTと言ったーーになろうと思ったのは、子ども
の頃身体がとても弱かったからです。病院生活が長かった。子ども
にやさしい看護婦さんか 医者になりたかった。

当時 STのことを聞いた。口蓋裂の術後の言語訓練をやれば、と
言われた。私は子どもの治療をしたいとある先生に言ったところ、
子どもの勉強をしたかったら、大人の勉強をしなさいと言われた。

それで、韮山や伊沢の病院の失語症患者さんの勉強をした。そこには、
日本中から患者さんが来ていた。その頃、STの就職口がなく、内須川
先生の恩師にあたる人から、紹介され、埼玉に来て子どもの治療を
するようになりました。当時は「STいりませんか」と売り込みに行く時代。
STという言葉すら知られていなかった。

こうした中で 自分を説明しなくてはいけなくて どもった。他人には
あがり症と思われていた。

Oさんのことばに共感します。自分のことをしゃべる時、どもりますね。

埼玉の小児保健センターでに 吃音の子どもが来ていました。遊びながら
子どもの発達を促してゆく方法をとっていました。内須川先生の本をよみましたが、
よく分からない。先生自身 よくわからない とおっしゃっていました。

なんだか治療に来る親御さんをだましている気がして・・・。ごまかし、ごまかし
やってきました。

Oさん  自分のことばを自分で分析してみますと、あ 行が言えません。言いづらい
言葉を避けていると、だんだんと言いたいことと違うことを言ってしまします。
そうするうちにあきらめてしゃべらなくなりました。

Mさん  たたみ のように重なることばが言いづらい。リズムをつけてしゃべります。
苦労をしました。助走もつけました。

Oさん  就職の時名前が言えない。名前ですから、置き換えが出来ません。
また、電話が苦手です。出版社でアルバイトをしましたが、電話をとるのが
恐怖でした緊張していましたが、吃音があるとは言いませんでした。

Aさん  大ぜいの前で話す時、ことば 声が出ませんでした。そういう時、「私は
こういう場面だとどもるのです」と皆に言いました。皆は「そうなのか」と
安心した表情をします。その表情を見ると 安心してしゃべれます。

 Mさん  出版社は狭き門です。大手はコネが殆どです。コネの中で試験して
いいのを取るシステム。

Oさん  大手はじめ30社近く受けましたが 全滅しました。

Mさん  今は出版不況ですしね。

Oさん  30社でも絞った方です。普通の人は100社くらい受けます。

Aさん  もったいないね。(良い人材なのに ということ )

Mさん Aさん  カミングアウトためしてみたら?

Oさん うーん

(話題 変る)

Oさん 自分の住んでいるところは 毎日強制的に山歩きしているようなものです。

(気持ちを変えるために 山歩きでもしてみたら?という進めに答えて)

Aさん ところで どんな本が好き?

Oさん 文学、昔の小説  日本では、夏目漱石、海外では、ドストエフスキー。

Aさん 出版社でどんな仕事がしたいの?

Oさん 編集がした。アルバイトでアシスタントをやったが、大変な仕事だと分かった。
自分の脆弱な神経で耐えられるか。ちょっと考えた。やりがいのある仕事
だと思う。著者との打ち合わせなど 特に。

Aさん 困ったことありましたか?

Oさん  基本的にはパソコンに向かっての仕事だけど、電話が嫌でした。
人と話たい。誰かと会話したい。吃音だから話せない という
のではなく。

Aさん  あなたは よく しゃべるわね。

Mさん  全然問題ないわ。

Aさん  (どもりだと)言ってごらん。楽になるから。

Mさん  編集者はおもしろい仕事ですしね。


まとめ として

Mさん  吃音をコンプレックスと感じさせるものは、世間。世間がそうしている。
吃音者は吃音を特性にしたら良い。

僕は吃音と脳の機能との関係を知りたい。また 心、ことば を深める
ことが大切で、吃音はある意味 どうでも良いのではないだろうか。

Oさん  今日は感覚的に 良くしゃべれた。自分は吃音をハンデイとして、切り離したい
ものと思いこんでいた。自分を形づくっているものとして、自分を知る手段
として 吃音を見做してみたい。

吃音を本当になおしたいのか?を知る必要がある。確固たる自分を持って
いること。吃音がなくなっても 周囲との関係を作っている自分というものに
今日 気付けた。

さて 次回 何をしたいか。

Aさん  あっけらかんと育ったら こういう深い人にならなかったのでは。
私もドストエフスキー、夏目漱石が好き。

吃音がなおってしまったら、つまんないよ。

こおこに来てお話するのがおもしろかった。加藤文太郎が好き
彼は明治の登山家。

次回はMさんの話が聞きたい。

**そういうことで、次回  7月23日(土)2時から  Mさんのレクチャーも
ありますよ。テーマは「詩とことば」です。お楽しみに!!

では、また 来月 !  投稿待っています!