再度ことばカフェに向けて
吃音者とそうでない人の違い
そんなこと 考えておりました。昨日 成人の吃音の方の治療をいたしました。そこで、一つおしえられました。
よく言われることですが、本当だな と実感しました。それは、吃音者は
すべて(或いは多く) 吃音をもとにして、この世を この世のできごとを検索し、考え 感じ 行動する人なんだな ということです。
たとえば ある宗教の信者 その人はその教義をベースにして ものごとを考え 判断し 行動するでしょう。その人は自分の心を神 仏
と一致させようと努力するでしょう。
吃音者にとって 吃音とは あたかも 自分をしばり、操作する
ベースとなるもの あたかも神みたいな存在 自分がえらんだのではないいのに。 そんな気がしました。
そうではありませんよ。吃音はあなたの心、脳の働きのごく一部。
吃音は あなたが、操作するもの、出来るもの。あなたの心を吃音の恐れ、おびえからとき放し、あるがままの心で生きられれば。
その一つのヒント。それは、例えば電話。電話でどもるかもしれない。
いや、ひょっとするとどもらないかもしれない。その不確実性。
これが吃音の本体。いつもどもると決まっていれば ことはたやすいのに、ときに電話でどもらないときもある。つまり、本当には予期できない。だから、予期不安がでてくる。どもるかもしれない・・という。
電話にでるのが苦手なら、そして特に身体が疲れている時、寝不足の時
など コンデイションが悪いとき、そんなときは どもってあたりまえ。どもってなにが悪いのでしょう。
そして、どもるのを前提で電話する。電話にでる。だってどもるのは自然なことだから。(続く)
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