2011年8月31日水曜日

第3回ことばカフェ  報告

去る8月27日(土)午後2時から5時まで、拡大ことばカフェが開かれました。いつもの常連の詩人のMさん、言語聴覚士のAさん、吃音で悩むOさんに加えて、
 
  本日の講演者 川村透さん、M先生
  吃音学者のSさん
  出版社の川崎さん
  社会福祉士、精神保健福祉士、主任介護支援専門員のYさん
  そして、多摩大学のSさん
  多摩市役所から Wさん

  沢山の参加者がこられました。

  この内容については、川崎さんがテープおこしをして、全国ネット
  で配信できるよう 考えております。冊子にすることも考えて
  おります。

  5時からは、詩人のMさんからのケーキをワインで歓談!!
  格別おいしいケーキで みなとてもハッピーになりました。
  Mさん  本当にありがとう!

  早坂もいよいよ年を重ね、呼吸力を鍛え、肺や気管の問題を
  克服するつもりです。

  次回は、参加者の感想をのせますね。お楽しみに!!

2011年8月22日月曜日

第3回ことばカフェ  新しい仲間の登場!

第3回ことばカフェ  また新しい仲間の登場です!
  一人は吃音学者、セラピストのSさん。 そしてもう一人はBS多摩のメンバーである川崎雪絵さん。彼女はことばカフェの内容をまとめ、外部に出してくれる役目を受け持ってくれます。

Sさんは新米ママさん。乳児をつれての参加です。赤ちゃん大好き人間の私としては、大歓迎!

そういえば私には年の離れた妹が2人います。
  8歳違いの妹の1歳半健診に抱っこして、机に頭をぶつけて泣かれて困ったこと、6歳違いの妹がはいはいし、歩き始め、お話を始めたときの喜び! 今は二人とも私より賢いのだけど、あかちゃんの可愛さは
小さいころから楽しんでいたのだな と思います。

 息子2人のことばの成長、この道筋は全く違った特性を持ち、それは
その後の認知様式、性格にも大きく反映していることがわかりました。

 大学院の学生が、そうしたテーマで論文を書きました。

 プロソデイベビーとワードベビーです。語の韻律的側面に反応するベビーと語の形に反応するベビーです。

 理知的ベビーと情緒的ベビーとでも言えましょうか。

考える赤ちゃんと 感じる赤ちゃん  むろん相対的なものですが。
 面白いなあと思いました。

むろん認知形式は年齢とともに 変容しますから、すべて生まれつきのまま進行するわけではありません。

しかし、赤ちゃんほど 人間の原点を見せてくれるものはありません。

 乳児期の育ちの大切さ。ほどよく抱きしめ、ほどよく放し、丁寧にお付き合いしたいものです。

 粗末に付き合えば、将来心を使って物事を見つめ、働きかけ、努力する、自力のある人間を育てることはできません。

 ことばの世界から見た育児環境。そんなこともお話したいですね。

 では、ことばカフェで!!
  
  hayasakakikuko@gmail.com
 

2011年8月20日土曜日

第3回 ことばカフェ  楽しみましょう!

第3回ことばカフェ は、来週土曜日 8月27日 午後2時から
 ベルブ永山4回  ビジネススクエア多摩 交流スペース(ラウンジ)
 で開催されます。

 この日は、いつもの常連の人たち以外に
   森川経営コンサルテイング事務所代表 森川弘文博士

   川村透事務所代表 川村透さん 

  のお二人がこられます。お二人とも 自力で吃音を克服された
  経験をお持ちの また、とても ユニークな方々です。

  実はこの日は 私の何十回?か目の誕生日なのです。

  皆でワインとケーキでお祝いしようと 計画している参加者も
  おいでだそうです。楽しみですね。

  閑話休題:

  何故ある人は自力で吃音を克服できるのか、また 何故ある人は
  できないのか。その違いは何か。

  どちらの人も  聞いてみれば、吃音の原因は 親にある と
  思い、長くうらんでいたということを聴いています。

  ある環境が与えられた時、そしてその中により強い権力者(親)
  がいた時、それにどう対処するか、それは 本当に一人一人
  違うと思うのです。

  持って生まれたもの とでもいうものでしょうか。子ども、人間は決して白紙で生まれてくるわけではないのだから、結局は受け止め方で
あると思うのですが。

 どう受け止めるか で 同じものでも その後は全く違って出てくる。

 そうであるなら、今ある現象をどうとらえるか、その捉えかたによって、問題は全く別物として立ち現れてくるのではないのでしょうか。

 吃音の問題と親子関係はリンクする面もありますが、そしてそれは
大切な問題ですが、決して本質ではないこと。

  吃音は複雑で深いともいえますが、また、極めてシンプルで解決しやすいものでもあります。どちらにするかは、それこそ人によるのです。

  あなたは 吃音を選択しますか、それとも 卒業しますか、それとも 心の友としますか、どの選択支も可能です。

 どれも自由です。選択するのは あなたです。何故そうなのか、それについては、ことばカフェで学びましょうね!!!

  お待ちしております。

 hayasakakikuko@gmail.com
 

2011年8月11日木曜日

ここでも 農業!!おいしいお野菜

今日、早坂吃音治療・相談室の実質上のサポータである、多摩大学の松本先生、多摩信用金庫の高山さん、出版社の川崎さんと、交流スペースで会食をしました。
  おむすび、味噌汁、にんじん きゅうりのデイップ、すいか など簡単な食事でした。
  
 そこでも会話は、自然と食の問題に移ってゆきました。
川崎さんのおばあ様は現在、104歳、まさに玄米菜食を実践、明るく
朗らかなお人がらだそうです。病気一つない、健康そのものの方だそうです。

高山さんは、本人は金融のビジネスマンですが、ご実家が農家だったそうです。今、高山さんの関心は どうやらお金の動きではなく、農業に向かっているようです。腰をかがめないで済む畑の話から、沖縄から送られてくる黒糖、有機野菜の数々、野菜の販売と一体化したレストラン、そこで働く人々、おう、私も雇って とつい言ってしまった程、
楽しい、夢のお話でした。むろん、現実化する夢でしょう。

松本先生は小さいお子様がおられるようで、食育の大切さを述べられていました。そして、溢れかえるおやつへの疑問。

私も病気して、玄米菜食の食事で息を吹き返した経験がありますから、
食べることの大切さは身にしみてわかります。

そして、心と身体の健康のためにも、毎日の食事について、よーく考え
吟味する、そして、この世間でも  生きかた革命を起こす必要を強く感じています。

多摩市にマクロビのお店ができたらいいですね。きゅうりをぽりぽり
かじりながら思いました。

2011年8月9日火曜日

ことばの世界にとらわれて(2)

先回は、私が何故言語聴覚士になったのか、言語病理学者になったのか、についての出だしのような文章を書いた。今私は自分が強くことばの世界にとらわれ、この世を何とかつかみ、折り合える道を模索していることを感じる。しかし、その一方、自分の心の中の自然、そして、それに応じての外界の自然と折り合い、和解し、楽しんですらいる自分も感ずることができる。
  自然への回帰、故郷への回帰がこのように、自然に行われているのは、それだけ私が年をとったということなのであろうか。
  

私が思春期に入った頃、父は「きっこ(私の呼び名)はソフィストになる」と言って危惧していた。そして、私はそのとうりになった。
 ソフィストーーそれは知を弄ぶ者ーーという、ニュアンスとしては、貶めた言葉、唾棄すべき言葉である。私はその言葉を批判と嘆きとして受け止め、出来るだけ現実世界の中にいて、人と関わり、具体的事実を尊重し、具体的結果を上げることにも眼を向けてゆくよう努力し続けた。つまり自己満足的生き方を自分に禁止したのである。

 人に分かり易く生きること、自分の内面は内面として、ーーという生き方もまたそこにかなりの無理があったように思う。つまり、他者を満足させる、他者指向の生きかた、過剰適応の生きかたを自分に強いたことになる。安全神話である。

 その結果としての重度のうつ病。10年に亘るうつ病は 自分の生きかたが行き詰まってしまった明らかな証左であった。

 うつ病については、またの機会に書くことになろう。今はことばと自分の問題。

15歳の秋、一つ上の姉が私を家の裏山に誘った。お山で勉強しよう。姉らしい発想だな、と思った。そして山の斜面に並んで座って、教科書を膝において、近く家の屋根、遠く大磯の海を眺めた。

落ち着かなかった。小さい時から、あんなに馴染んで、触れていた自然が。木々のたたずまいが、木漏れ日のやさしさが、すべて どう感じようとしても、声をききたくても  語りかけ 触れてくる 思い、自然はそこにはなかった。そこには、自然と隔絶した 自己 があった。閉ざされた自己があった。

 それが、私の自我の目覚めであり、弧の意識の始まりであり、そして、発達的には、抽象的思考能力の表れであったのだと思う。

 16歳n時、数学の先生に、推理能力の高さ、抽象的能力の高さ 優れていることへの指摘があった。私は数学が出来ないと思っていた。先生は、特にことばの推論の能力が優れていると指摘された。

 私はああだから推理小説がすきなんだーと軽く納得したが、実はその一方で、その頃 あらゆることを疑う、自分で一から考える、自分の存在を考えること、思考することのみによって生きている実感が得られる、ある意味、存在の危機的状態に陥っていったのだとも言える。

だから、そのあがきとして、自己の中に閉塞されないように、友達と交わり、ばかげたことをして、人の笑いをとり、スポーツをし、サイクリングをし、そうして、懸命に健全さを維持し、こどもらしさをアピールし、だめな自分を演出し、と  あがいていった。

15歳の時、最愛の祖父をなくし、その学期、私の成績は飛躍的に伸びた。急な目覚めであった。それまでは、母からゆけさくと言われていたように、クラス一忘れ物が多く、宿題をしてゆかない あまり賢い子どもではなかったようである。勉強への動機づけも一切なかった。

 私はとても幸せだったから。祖父が死に、成績が飛躍的に伸び、ものを考える15歳が 私が自然と別れ、無邪気さと別れ、自分で自分の人生を引き受ける 自立のとき であった。

甘えん坊のところも持っておるのでありうが、親への依存の心は15歳でパタリと消えてしまった。むろん 食べさせてもらうなど、社会的依存は、結構長く続いていたのではあるが。

 それからの私は、外から わかりやすいように、かなりの部分をあけっぴろげに放置する一方、それへの他者の反応を読みながら調節する自己を片時たりとも手放しはしなかった。

 それが、私の自意識であり、自己であり、私の言語 であった。  

2011年8月1日月曜日

第3回ことばカフェ 第2の講師登場です

第3回ことばカフェの先回のお知らせで、
  川村徹さんの登場をお知らせいたしました。

さらに、もう一方の登場です。その方は森川弘文さん
 やはり大人になっても長く吃音で苦しませた方です。しかし、治療を受けることもなく、自力でなおしてしまったという体験の持ち主です。

森川さんは、現在、森川経営コンサルテイング事務所の代表をなさり、また、新宿にある首都医校で教鞭もとっておられます。

森川さんは、長くビジネスマンとして第1線で働いておられ、定年後

  社会保険労務士
  社会福祉士
  精神保健福祉士
  介護福祉士
  介護支援専門員
の資格をとられた、医療福祉経営学の博士でいらっしゃいます。

森川さんは、現代のビジネスに福祉の考え方、すなわち、敗者復活の
考えを取り入れたりなど、多くの提言をお持ちの方のようです。

吃音の問題、ビジネスの問題、福祉の問題、、などなど 興味をもたれる方、ぜひ 第3回ことばカフェへお出でください。

  8月27日(土)午後2時~
  京王線 小田急線  永山駅 徒歩3分  ベルブ永山4階
            ビジネススクエア多摩

  メール  hayasakakikuko@gmail.com

早坂菊子  090 3803 3524